本や映画の感想集

最近はThe Doorsを聴いている

「無印ニッポン」を読んで。 ”反体制商品”として生まれた無印への個人的な思い入れ。

スポンサーリンク

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 / 堤清二(著)  三浦展(著)

「無印ニッポン」を読んで、自分がどうして無印に惹かれたのか、とてもしっくりいった部分があったので書きます。

僕は無印が好きです。だってあんなにお洒落で品質がよくて安いって他にないじゃないですか。無印があるって心を落ち着けてくれませんか!? 無いと不安。つまり無印中毒なわけで、この本の読み方もかなり偏ったものになっているかもしれません。

 【目次】

無印ニッポンの概要。

まずこの本は無印良品を接点とした二人の対談の書き起こしだが、内容は所謂「無印良品」というブランドについてのみ語られているわけではなく、そこは当然軸の一つとしながらも”20世紀消費社会の終焉”というテーマになっています。

その二人とは、かつてセゾングループの代表を務め、無印良品の産みの親にして経済学博士でもあり、辻井 喬の名で詩や小説まで執筆する堤清二と、やはりパルコからキャリアをスタートさせ、近年ではベストセラーとなった「下流社会 新たな階層集団の出現」の著者として知られる三浦展です。ちょっと見逃せない対談であることは少し嗅覚を働かせたらすぐに気が付くと思います。

 

内容は「1.アメリカ型大衆消費社会の終わり」、「2.戦後日本とアメリカ」、「3.無印ニッポン」、「4.日本のこれから」の4章からなっています。無印のアイテムや会社の紹介本を想像して買った人は驚くかもしれませんが、しかしこれらのテーマについて実に分かりやすく議論されていて、僕にように学のない人間にも(笑)とても勉強になりました。特に、雇用問題、地方の現状・再建の問題などは、新聞やニュースなどで読むよりもスーッと頭に入ってきて、自分の感じていることと併せて考えても納得する部分が大きかったです。メディア論も勉強になった。セゾングループは広告・メディア戦力に長けていることで有名なわけだから当然か。

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)

 

 

無印ファンはやはりこの章に注目する。

しかし・・・

やはり僕が熱くなって読んだのは「無印ニッポン」の章でした。そりゃそうですよ。80年代、やむを得ない事情からたどり着き、そこから愛してやまない無印ですから。ムジラーなんてある意味批判的ともとれる言葉がありますが、僕には最高の褒め言葉です。無印にコミットするセンスがあるということですから。”無印でいい”ではなく、”無印がいい”。「SAY 無印がいい!」なんて強要し出さないうちに続きを(笑)

この本の中で、無印ファンならやはり「3・1無印良品は反体制商品」が重要になると思います。ここはなんとしても読んでおきたいところ。以下、重要にして私がしびれたところを要約&引用します。

 

・無印は、商品のつくりかたとしては、アメリカのシアーズ・ローバックをモデルにしている。

・無印は消費者主権である。”ここまでは用意しますから、あとは消費者自身が好きなように使ってください”といった意味での消費者主権である。 

・無印をスタートさせるにあたり、堤清二が「これは反体制商品です」と説明しても、社内ではなかなか浸透しなかった。ここは最重要ポイントだと思うので、堤清二の発言を引用します

それはさておき、「反体制」というコンセプトをブレイクダウンするとすれば、一つは、みんながアメリカ的豊かさを追っているときに、「それにはあまり賛成しないよ」と異議を唱えるという意味があった。もう一つは、ファッションがあふれている時代に、ファッション性を追求せず、そしてそのことが結果としてかっこいいのではないかというメッセージがありました。アメリカ的豊かさの追求とファッション性の追求という、この二つの大きな「体制」に対して、アンチだったわけです。 (p.99)

 

ふー。どうでしょうか。僕は自分が幼心に無印に惹かれた理由がわかった気がしました。

 

僕と無印の出会い。母親に教えてもらう。

僕と無印の出会いは80年代後半(90年代初頭の可能性もあり。記憶が・・・)でした。音楽が好きになり、特にパンク、ニューウェーヴに夢中になりました。当然ファッションにも目がいくわけですが、シンプルで無駄のない洋服がなかなか見つけられないのです。そういった音楽はとても派手な色やデザインの洋服のイメージがあると思います。もちろんそれも間違っていないと思いますが、実はよく見ると非常にシンプルな洋服同士を、その組み合わせで個性を出しているミュージシャンがいたりしました。また、洋服に自分なりのアレンジを加えることによって個性を出していたり(注1)。それもシンプルな洋服をべ-スにしているからこそ、ちょっとしたアレンジが大きなフックとなり、当時の僕にはバッチ一つだけでも光輝いてみえました。

つまりそれら基礎となるシンプルでデザインの洗練された洋服をなかなか見つけることができなかったのです。もちろんコムデギャルソンはすでにありましたが、とてもローティーンの僕に手が届くものではありませんでした。アニエスbも同じ理由から指をくわえて見ているしかありませんでした。

 

そんな時に、母がこう言うのです。

「(僕の部屋にある音楽雑誌を見て)そういう縞のTシャツとか無地のシャツを売ってたよ。たしかムインというメーカーだった。しかもすごく安かったよ。」と(笑)

ムイン?まあ親の言うことだからと適当に聞き流したと思います。でも後日やはり気になり、大して期待もせず母の情報をもとにお店に行ってみました。するとそこには僕のおこずかいでも買うことのできる値段の、ボーダーのロンTが、無地で襟のデザインがすっきりしたシャツが、リブが洗練されたウールのセーターが普通の顔をして陳列されていました。

いやー、興奮しましたよ。もうお父さんのYシャツをそれっぽくアレンジしなくていいんだ!と。一生これでいいじゃん!と思いましたから。いや一生これがいい、ですね(笑) でも本当にその通りで今でもそれは同じです。ちなみに母に無印の読み方を訂正したりはしませんでした。そんなことは無駄なことのように思ったからです。当時の僕が嫌った、洋服に施された無駄に思えるプリントや装飾のようにです。

 

 

いま母の履いているバレエシューズは。

今では60代後半の母ですが、この前会ったときに白のかわいいバレエシューズを履いていました。僕がそれを褒めると、

「何年か前に無印(ムジルシ)で買ったのよ。ちょっと若すぎる気もしたけど安いからね~。」と言っていました。もうとっくにムインじゃなかったんだと、僕はほっとしました。 

(注1)例えば70'sのパンクバンドでいうと、派手なダムドに対し、地味目でシンプルなジャムっていう例えは安易すぎでしょうか(笑)